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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)3951号 判決

原告

宮川利三郎

右訴訟代理人

戸田謙

外五名

被告

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

持本健司

外一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1(一)、(二)の各事実(本件公訴の提起。無罪判決の確定)は、当事者間に争いがない。

二原告は、本件公訴を提起した佐治検事に過失がある旨主張する(請求原因2)ので、まず、本件の事実経過を検討する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

1  神奈川県秦野警察署は、昭和四四年九月三日(以下、特に断らないときは昭和四四年を示すものとする。)、原告を別紙一記載の業務上横領事件の被疑者として通常逮捕した。その後、同事件は横浜地方検察庁小田原支部に送致され、佐治検事が担当することとなつた。同検事は同月五日、原告につき勾留決定を得、さらに同月一三日、同延長決定を得て、右事件につき捜査した。

2  佐治検事は、前記秦野警察署から送致された参考人や被疑者である原告の警察官に対する供述調書(以下「警面調書」という。)等の捜査記録を検討する一方、自ら参考人や原告を取調べ、その結果、前記各被疑事実につき、大要、次のような各証拠とこれに対応する心証を得たことが明らかである。

(一)  原告の地位、既ち、別紙一の冒頭の事実(原告が秦野市立南小学校校長、神奈川県小学校教育研究会国語研究部会(以下「国語研究部会」という。))会長及び同研究会秦野地区研究会((以下「地区研究会」という。))会長であつて、前記小学校、国語研究部会及び地区研究会の各経理全般を統括していたこと)について、神奈川県教育庁指導部指導課管理係長の曽根寛の警面調書並びに神奈川県小学校教育研究会副会長の角田正春の八月二八日付及び九月一〇日付各警面調書に、右事実に副う供述が録取されており、また、原告も、九月四日付及び九月八日付各警面調書において、また、佐治検事に対し、前記事実を直接に認め、且つ、同事実を当然の前提とする供述をしていた。

もつとも、原告は刑事公判廷において、各経理の統括者は教頭である旨を供述しているが、前記各証拠に照らせば、各経理の具体的事務処理は原告の指示を受けた教頭が行なつていたが、各経理につき最終的な権限及び責任は原告にあつたことが明らかであつて、原告が後に右のような供述をしたことによつて、前記各証拠の信用性は左右されえないというべきである。

(二)  第一事実の実験学校の指定及び研究委託料の前記小学校への交付については、前記曽根寛の警面調書、秦野市教育委員会学校教育課長の宮本信澄の警面調書、昭和四一年九月から同四三年八月まで前記小学校の教頭であつた小沢薫の八月二九日付及び九月一〇日付の各警面調書並びに昭和四三年九月から前記小学校の教頭となつた石井信男の八月三〇日付警面調書が存在し、これらの供述を総合すると、次の事実が認められる。

即ち、前記小学校は、昭和四一年度に神奈川県及び秦野市から国語科の実験学校(特定の小学校を指定して、特定の教科の教育につき一定額の費用、即ち実験学校委託料((以下「委託料」という。))を給付して研究させる制度)に指定され、また、昭和四二年度には同県から同様の指定を受けた。そして、同小学校は、委託料として昭和四一年度には同県と同市から各金五万円、同四二年度には同県から金五万円の交付を受けた。

右事実につき、原告の九月八日付警面調書にもこれを認める供述が録取されており、また、原告は佐治検事に対しても右事実を認めていた。

(三)  第二事実につき、同県から国調研究部会及び地区研究会に対する各補助金の交付に関しては、前記石井の八月三〇日付及び九月二日付各警面調書、前記小沢の各警面調書並びに前記角田の各警面調書が存在し、これらの各供述を総合すると、次の事実が認められる。

即ち、同県から国語研究部会に対し、昭和四一、四二各年度にそれぞれ金五万円、昭和四三年度に金四万四〇〇〇円、合計一四万四〇〇〇円の補助金が交付された。また、同県から地区研究会に対し、昭和四一年度金一万三五〇〇円、同四二年度一万五六〇〇円、同四三年度一万一二〇〇円、合計四万〇三〇〇円の補助金が交付された。

右の点につき、原告も、国語研究部会に金五万円前後、地区研究会に金二万円前後の補助金が毎年支給される旨を認めていた(前記九月八日付警面調書)。

(四)  第一事実の委託料の趣旨・性格について、前記小沢(八月二九日付)、曾根及び宮本の各警面調書に録取された供述によると、神奈川県及び秦野市からそれぞれ前記小学校に交付された委託料は同小学校において費消しうるが、その使途は当然に教育実験学校の研究のための経費に限定されており、年度末には同県、同市に対し決算報告を提出することが義務づけられていることが認められる。

右の点につき、原告も、委託料は講師謝礼、印刷代、発表会の費用等に使うべき性質のものであることを警察官に対し認めており(前記九月八日付警面調書)、また、佐治検事に対しても、委託料は前記小学校の所有する金である旨を供述していた。

(五)  第二事実の各補助金の趣旨・性格については、前記石井の八月三〇日付及び九月二日付各警面調書、前記小沢の八月二九日付警面調並書びに前記角田の八月二八日付警面調書が存在し、これらの各供述を総合すると、神奈川県から国語研究部会及び地区研究会にそれぞれ交付された補助金は、それぞれの会において費消しうるが、その使途は当然に各会が目的とする研究に必要な、謝金、旅費、資料費等の経費に限定されていること、各研究部会及び各地区研究会は年度末に領収書等を添えて収支報告書を同県小学校教育研究会の本部に提出し、これがまとめられて同県教育委員会に提出されることが認められる。

右の点につき、原告も警察官に対し、右補助金は国語研究部会及び地区研究会が目的とする研究に必要な経費に使わなければならない性質のものであることを認めていた(前記九月八日付警面調書)。

(六)  第一事実の委託料の保管状況については、前記石井の八月三〇日付、九月二日付及び同月二二日付各警面調書、前記小沢、同曾根、同宮本及び同角田の各警面調書に録取された各供述、前記石井の検察官に対する供述並びに司法警察員作成の捜査報告書のうちコードナンバー団四一四の貯金元帳に関する部分を総合すると、次の事実が認められる。

即ち、前記小学校校長として委託料の保管及び支出につき権限と責任を有する原告の指示を受けた小沢教頭は、昭和四一年一〇月二九日神奈川県と秦野市からの委託料合計金一〇万円を、秦野市農業協同組合南支所に原告名義で定期預金として預入れ、その後右預金を解約した後、その元利金のうち金一〇万七二五〇円を昭和四三年五月一日再び定期預金に預入れた。前記小沢の後任である石井教頭は、原告の指示により神奈川日報への本代支払のため、同年一〇月一日右定期預金を解約し、払戻された金員の内金二万円を普通預金口座(団四一四)を開設して預入れ、内金五万円を定期預金に預入れ、さらに昭和四四年三月二九日と四月八日の二回にわたり右定期預金の満期後の元利金五万〇八一九円を右普通預金に預入れた。なお、昭和四二年度の同県からの委託料金五万円は、同年八月一九日定期預金に預入れられたが、翌年五月解約され、研究発表会のために費消された。

右の点につき、原告も警察官に対し、PTAの援助金を充てたので、委託料が残つたこと、その委託料は前記農業協同組合南支所に普通預金として預入れてあることを供述しており(前記九月八日付警面調書)、さらに、佐治検事に対し、団四一四番の普通預金口座が委託料を預入れたものと思う旨を供述していた。

(七)  第二事実の各補助金の保管状況について、前記石井の八月三〇日付及び九月二日付警面調書並びに前記小沢の各警面調書に録取された供述、司法警察員作成の捜査報告書のうち、さ一一〇番及びさ一一七番の貯金元帳に関する部分を総合すると、次の事実が認められる。

即ち、国語研究部会会長及び地区研究会会長としてそれぞれの補助金の保管及び支出の責任者である原告から指示された小沢教頭は、昭和四一年一二月二〇日前記農業協同組合南支所に原告名義の普通預金口座(さ一一〇番)を開設して、昭和四一年度の国語研究部会に対する神奈川県からの補助金五万円を預入れ、さらに昭和四二年度の同部会に対する補助金五万円及び地区研究会に対する補助金一万五六〇〇円並びに昭和四一年度の地区研究会に対する補助金の残金等金一万一九四〇円、以上合計金七万七五四〇円を右預金口座に預入れた。その後、原告の指示を受けた石井教頭は、昭和四三年一一月二八日、同年度の国語研究部会に対する補助金四万四〇〇〇円及び地区研究会に対する補助金一万一二〇〇円を右預金口座に預入れた。一方、国語研究部会は昭和四一年から同四三年まで毎年八月に、小学校教員を対象とする夏期講習会を開催したが、同講習会は参加者の支払う会費と国語研究部会が支出する補助金の一部によつて運営されていたところ、残金が生じたため、小沢教頭は昭和四二年一二月一四日、原告の承諾を得て前記南支所に原告名義の普通預金口座(さ一一七番)を開設して、昭和四一年と同四二年の右残金合計八一〇五円を預入れ、さらに昭和四三年九月三日同年の残金二三〇〇円を預入れた。なお、右各普通預金の通帳及び印鑑は、小沢教頭(後に石川教頭)が前記小学校の金庫に入れておき、原告の指示により、または原告の承諾を得て預入れ及び払戻しをしていた。

右の点につき、前記石井は検察官に対してもほぼ同旨を供述し、また、原告も、各補助金を前記南支所に普通預金として預入れていたこと、その通帳は教頭に命じて前記小学校の金庫に保管させていたことを警察官に供述しており(前記各警面調書)、佐治検事に対しても、口座番号さ一一〇の普通預金は国語研究部会と地区研究会に対する補助金を預入れたものであり、口座番号さ一一七の普通預金は国語研究部会の夏期講習会関係の金を預金したものである旨を供述していた。

(八)  第一、第二事実中の各払戻に関して、まず、第一事実について、前記石井の八月二六日付、同月三〇日付及び九月二二日付各警面調書、同人の佐治検事に対する供述並びに司法警察員作成の写真撮影報告書のうち昭和四四年五月一三日付の貯金払戻請求伝票の写真によると、昭和四四年五月一三日、原告の指示を受けた石井教頭が、前記普通預金口座(団四一四)から金五万円を払戻して原告に手渡した事実が認められ、原告も、右事実を警察官及び佐治検事に対し認めていた。

次に第二事実につき、前記石井の八月三〇日付及び九月二日付警面調書、同人の佐治検事に対する供述並びに司法警察員作成の写真撮影報告書のうち昭和四四年七月二四日付貯金払戻請求伝票二通の写真によると、原告の指示を受けた石井教頭が昭和四四年七月二四日、前記普通預金口座(さ一一〇)の預金全額金一二万三五六九円及び同口座(さ一一七)の預金全額金一万〇七三二円を払戻し、これを原告に手渡した事実が認められ、原告も、警察官及び佐治検事に対し、同旨を供述していた。

(九)  第一事実の着服横領の点について、前記石井の八月三〇日付及び九月二二日付警面調書並びに同人の佐治検事に対する供述によると、地方新聞「神奈川日報」の社主である岩佐仙太郎から「もうおまえの面倒をみない。」と言われた原告が、同新聞に悪く書かれることをおそれ、岩佐に金員を贈ることを思いたち、前記(七)のとおり石井教頭に指示して払戻させた金五万円を岩佐宛に持参させた事実が認められる。なお、前記石井の八月二六日付警面調書には、同人が原告から「買い物をしたいから。」と言われて払戻した旨の供述が存するが、前記八月三〇日付及び九月二日付警面調書では、右供述は原告に頼まれたための虚偽の供述であるとして、前記のとおり訂正されている。

また、岩佐仙太郎の秦野警察署宛上申書、同人の警面調書及び佐治検事に対する供述によると、昭和四四年二月ころから、前記小学校に交付された公金等の使途に関して原告は同校PTAの役員から追及されており、岩佐が原告に情報を提供する等していたが、同年五月一〇日ころ両名の間で口論があり、原告が岩佐により前記新聞に不利な記事を載せられるのではないかと心配したらしいこと、同月一四、五日ころ石井教頭が原告の使いとして岩佐を訪れ、今後ともよろしく頼むという趣旨の原告の手紙と現金五万円の入つた封筒を手渡したこと、その後岩佐は原告が逮捕されたことを知り、同金五万円と以前に贈られた金三万円とを原告宅へ返しに行つたことが認められる。

そして、原告の妻である宮川サダ(九月八日付)及び娘である宮川道子の各警面調書にも、岩佐が前記のとおり金員を返すため原告宅を訪れた事実を裏付ける供述が存する。

これに対し、原告の九月四日付警面調書には、原告は石井教頭に対し、神奈川印刷株式会社に未払代金二万五〇〇〇円と増刷分の代金二万五〇〇〇円を支払うことを告げて、金五万円を払戻させた旨の供述がみられ、また、九月五日佐治検事に対し、同旨の弁解をしていたが、しかし、同月八日付の警面調書では、それまでの供述は嘘であり真実を話すとして、前記各証拠によつて認められる事実とほぼ一致する内容の供述、即ち、原告は、PTA役員との間の対立につき和解工作の費用として岩佐に金員を贈りたい旨を石井教頭に話し、同人が、実験学校の金が残つていると言うので、同人に命じて金五万円を払戻させ、岩佐宅へ持参させた旨の供述をしており、さらに、佐治検事に対しても同趣旨を供述した。

なお、原告本人は、警察官及び佐治検事に対する各供述がいずれも任意性を有しない趣旨の供述をするけれども、刑事公判廷における証人山田喬、同大越崇雄(いずれも警察官)及び同長沼忠良(検察事務官)の各証言に照らすと、原告の右供述は措信しがたいし、また、原告が九月八日それまでの供述を改め自供するに至つた点についても、後記(十一)のとおり原告の偽装工作が安部良一作成の同月四日付の答申書や同月五日の種子田俊雄の事情聴取により明らかになつたことも一つの契機となつていることは、容易に推認されるところである。

(十)  第二事実の着服横領の点について、前記石井の八月二六日付警面調書には、原告は石井に対し前記各普通預金口座(さ一一〇、さ一一七)の全額払戻を指示する際、「私がやめるので整理したいから。」と告げたこと、石井は原告が退職の土産に持つていくものと思つた旨の供述があり、また、同人の八月三〇日付警面調書には、右取り調べを受けた日の前日(同月二五日)に、原告から不利なことを供述しないように強く言われていたため、真実を話せなかつたこと、原告は石井に前記払戻を指示する際「俺の金として使うから」と話した旨の供述があり、さらに、同人は佐治検事に対し、原告が「俺個人の金として使うから」と話した旨を供述した。

これに対し、原告は、当初犯意を否認しており、警察官に対し、払戻した金員で教育研究のための品物を買つた旨弁解し、九月四日付警面調書には、国語研究に役立てるため謄写フアツクスという器械を購入することを石井と話し合つた後、前記払戻を指示した旨の供述が録取されており、同月五日佐治検事に対しても、払戻した金員で先生方の研究に必要な謄写版を購入した旨弁解している。

しかし、原告はその後供述を変え、九月八日付警面調書では、原告は八月に退職する予定だつたので、補助金等の余つた金を餞別としてもらつていく考えだつたが、全額自分で使うのではなしに前記小学校に記念になる物を残していきたいと思つて、石井教頭に払戻を指示し、その金の中から骨を折らせた同教頭に金三万円を贈り、残金一〇余万円はしばらく校長室の金庫に入れておいた後、妻に預けた旨の供述となつており、さらに、佐治検事に対しては、国語研究部会及び地区研究会に対する補助金については、すべて費消したものとして決算報告済みであつて浮いた金であるから、原告が退職するときにいただいていこうと思つていたこと、七月下旬全額を払戻させ、石井教頭が前記小学校のために普段自腹を切つていると思つて金三万円をあげた旨を供述している。

また、原告の妻である宮川サダの九月一二日付警面調書にも、同女が八月一〇日ころ原告から金一〇万七〇〇〇円くらいの現金を預かつた旨の供述が存する。

(十一)  さらに、原告の着服横領についての犯意及び違法性の意識の存在を裏付ける事実として、警察の捜査開始を知つた原告が偽装工作をしたことが証拠上認められる。

即ち、前記石井の八月二六日付、同月三〇日付及び九月二日付各警面調書によれば、原告が八月二五日と二八日に石井に対し、前記各払戻の動機や使途について原告に有利なように虚偽の供述をするよう強く言いつけたこと、通常校長が自ら印刷代金の支払や器械の注文のために赴くことはありえないことを供述している。

また、第一事実に関して、神奈川印刷株式会社の取締役である種子田俊雄の警面調書及び同人の佐治検事に対する供述によると、原告が八月二五日わざわざ同会社の事務所に赴いてきて、種子田が四五月ころ催促したままで未払いになつていた研究会用資料の印刷代金二万五〇〇〇円を支払い、さらに同資料の増刷を注文してその代金二万五〇〇〇円を前払いしたうえ、同人に依頼して六月一日付の領収書を作成させ受取つた事実が認められる。

第二事実についても、有限会社マルヤス文具店の経営者である安部良一作成の答申書によると、原告が八月二八日右文具店を訪れ、前記小学校のために謄写フアツクスを注文し、内金として一五万円を支払つたうえ、安部に依頼して同月一〇日付の領収書を作成させて受取つた事実が認められる。

そして、司法警察員作成の捜索差押調書及び検察事務官作成の報告書によれば、前記各領収書が原告宅に存在したことが認められる。

また、原告も警察官に対し右事実を自認しており(九月八日付警面調書)、次のとおり供述している。即ち、原告は八月二四日、小沢から警察の捜査が始まつたことを聞いて、補助金を個人的に使つたことが判ると大変だと考え、翌二五日石井教頭を自宅に呼び、同人に対し、前記金五万円については神奈川印刷に未払代金及び増刷分の代金を支払つたことにし、前記金一三万余円については謄写フアツクスを買つたことにする旨、また、これらの金は原告が出し、領収書も前記金員を払戻した日に近い日付のものを用意する旨、したがつて、石井も警察に尋ねられたらそのように話してほしい旨を指示した。そして、翌二六日神奈川印刷とマルヤス文具店へ赴き、前記のとおり各領収書を用意した。

なお、この点につき原告は刑事公判廷において、領収書の日付を遡らせた理由は、原告が当時教育長らから、予算の執行が遅いと非難されていたからである旨供述しているけれども、前記のとおり昭和四四年六月一日と同年八月一〇日付の領収書を用意したところで、昭和四三年度以前の補助金の費消時期として問題があることには何ら違いがなく、事柄の性質からして右供述は措信しえず、前記各証拠の信用性を左右するものではない。

三1 一般に、検察官による公訴の提起が被告人とされた者に対する権利侵害行為として違法であるとするためには、収集された各証拠に基づき、当該被告人につき有罪判決がなされるものとした当該検察官の判断が、論理則上及び経験則上首肯しえない不合理なものであることを要するところ、佐治検事が原告につき第一、第二各事実の業務上横領罪が成立し有罪判決がなされるものと判断たことの合理性については、前記二2のとおり各構成要件に該当する事実を確実に裏付ける各証拠が収集されていることからして、充分に首肯しうるものというべきである。

2 右の点につき原告は、本訴において、前記各預金の実質が委託料や補助金ではなく校長交際費(これは運動会などにおける父兄から教師に対する慰労のための寄附金―祝儀―の一部であつて、校長交際費の名目で校長がかなり自由に費消することが許されていた金員であることは原告本人の供述から認められる)等であつて、このことは容易に判明したはずである旨主張し、前記刑事裁判において原告の弁護人も同旨を主張し、また、証人戸田謙及び原告本人も、同旨を供述する。

しかし、横領罪の成否という観点からして、神奈川県や秦野市から遅れて交付された委託料及び補助金を預金しておき、既に他の金員をもつてその使途に立替え支出したが未だ預金と支出が精算されていないような場合、右預金が、当然に立替支出された他の金員と同一性質を有するものとはいえないが、精算を前提とする限り、その性質を委託料及び補助金とするか、校長交際費とするかについて解釈の分れることは否めないところである。しかしながら、教頭である小沢及び石井はいずれも、前記各預金の実質が変化することなく委託料や補助金そのものであることを当然の前提として、警察官や佐治検事に対し供述しているし、また、原告も警察官及び佐治検事に対し、委託料及び補助金が残つていること、それらの預金から前記金員を払戻した旨を供述しているのであるから、関係人の認識としては委託料及び補助金であつたことが明らかである。

また、前記刑事裁判における証人小沢薫の証言及び原告の被告人としての供述によると、実験学校の経費は前記県・市の委託料の交付が遅れるのでPTAからの研究補助名目の援助金と校長交際費から、また、国語研究部会及び地区研究会の経費は同様県・市の補助金の交付が遅れるので校長交際費から、それぞれ立替支出されていた事実が窺えるのであるが、仮に立替支出により前記各預金の実質が当然に変化すると解釈しても、実験学校の研究のためにPTAから交付された援助金を、原告個人とPTA役員の対立を解決するために使うことは、右援助金を委託された趣旨を逸脱することが明らかであるし、また、校長交際費の残金を校長が退職する際に後任者に引継がずに個人所有の金員として持去ることは、たとえその使途がかなり自由であつたとしても、法律上当然に許容されるか否か問題が存することは明らかである。

3 原告はまた、第二事実の着服横領の点につき、原告がPTA役員から学校会計に関し追及されているときに、石井教頭に着服の意図を告げて横領するはずがないとも主張し前記刑事裁判において原告の弁護人も同旨を主張し、また、証人戸田謙も同旨を供述するが、その然らざることは前記二2(十)、(十一)で明らかにしたとおりである。

したがつて、前記二2(十)、(十一)の各証拠に基づき、原告が第二事実の着服横領を犯したものと判断した佐治検事の判断は、その合理性を充分に首肯しうるものである。

4 右のとおりであつて、佐治検事の本件公訴提起に違法な点は存せず、原告主張の過失は認められないものである。なお、前記横浜地方裁判所小田原支部が原告を無罪とした理由は、別紙二のとおり研究活動の経費の計算関係如何によつては前記農協預金は立替支払したという校長交際費等と精算すべき関係にあつたものの如くであるから、残つていた農協預金が委託料や補助金そのものであるとするには疑いがあり、これについての証拠が不十分であるというものであるが、本件につき右解釈を採るべきか否かは前記のとおり考え方の分れるところであつて、僅かに起訴価値の有無についての評価に問題を残すところがあるとしても、本件公訴を提起した佐治検事の判断が論理則上及び経験則上首肯し得ないほど不合理なものと云い得ないことは明らかである。

四以上の次第で、原告の本訴求はその余の点につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(麻上正信 稲守孝夫 小林孝一)

別紙 一

公訴事実

被告人は、昭和三九年九月一日から同四四年八月三一日まで秦野市今泉六九九番地所在の秦野市立南小学校校長の職にあるかたわら、神奈川県小学校教育研究会国語研究部長、同会秦野地区研究会会長を併任し、それぞれその経理全般を統括掌理していたものであるが、

第一 昭和四一年及び四二年の両年度にわたり、前記南小学校が実験学校に指定された際、神奈川県及び秦野市から同校に対し合計金一五万円の研究委託料が交付され、その残金等を秦野市農業協同組合南支所に被告人名義の普通預金口座を設けて預入し、同校のため業務上保管中、昭和四四年五月一三日自己のため費消する目的をもつて、右普通預金口座より金五万円を払戻し、ほしいままに着服してこれを横領し

第二 昭和四一年乃至四三年度にわたり、神奈川県から前記国語研究部に対し合計金一四万四〇〇〇円及ぴ前記秦野地区研究会に対し合計金四万三〇〇円の補助金が交付され、その残金等を前同南支所に被告人名義の普通預金口座二つを設けて預入し、右国語研究部及ぴ秦野地区研究会のため業務上保管中、昭和四四年七月二四日、自己のため費消する目的をもつて、右普通預金口座より合計一三万四三〇一円を払戻し、ほしいままに着服してこれを横領したものである。

別紙 二

無罪判決の理由の結論部分

右認定事情から右研究活動の経費の計算関係如何によつては(右研究活動の経費の計算関係は証人小沢薫の供述以外帳簿類もなくその他の資料も乏しくその計算関係は確認しがたいものとする)右農協預金は右立替支払したという校長交際費等と精算すべき関係にあつたものの如くであるから右昭和四四年になつても残つていた農協預金が、右委託金や補助金そのものであるとするには疑があり、これについての証拠は不十分でその他の点にふれるまでもなく本件公訴事実はその証明がないものとして刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

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